HACHIの歴史

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HACHIの歴史

創業者角田昭八のあゆみとHACHI

創業者角田昭八が1979年名取市郊外で小さな小さな洋食屋を始めました。

創業者 角田昭八

2015年11月、創業者の角田昭八が亡くなりました、ここに生前からのあゆみをご紹介します。

生い立ちから、修行時代

生い立ちから、修行時代

七郷村六丁の目字屋敷、いまの仙台市若林区六丁の目中町の農家で昭和8年に生まれたので昭八と命名された角田昭八は、戦争に行った二人の兄に代わり家業の農業に従事した10代を過ごしました。
一人の兄は戦死、もう一人の兄は終戦後もシベリアに抑留され復員が遅れました。
その復員を待って兄に代わり家を出て手に職をつけるため洋食コックの道を選びました。
既に24歳になっていました。

働いた店の名前は「レストランほうげつ」大都会仙台駅前の店に七郷村の農家から出て来た田舎者として自分の訛りに怖気付いてチキンライスをチチンライスとしか言えず恥をかいたり、勉強嫌いの中卒が突然フランス語で料理を学ぶ苦労や、遅い修行のスタートだったため年下の後輩にいじめられた苦労などを生前若い従業員らに何度か聞かされ語る場面もありました。

独立、1979年HACHI開業

独立、1979年HACHI開業

負けん気の強さと努力でレストランほうげつでは料理長として用いられ、コックと言う天職に巡り会えた前半生だったようです。
29歳の時、見合いで妻の信子と結婚。『この出会いがHACHIにとっての基礎になったと言える』と長男である現社長の角田は語ります。

遅い独立となりましたが縁あって名取の地に店を構えました。47歳でした。現在のレストランHACHIの名取本店です。
「HACHI」の由来は自分の名前昭八の「八」の字を「末広がりで縁起が良い」で選びました。
料理には十分な経験を積んでいたものの妻の信子を含めて飲食店の接客や運営は手探り、思うように売上も上がらず苦しい数年間を過ごしました。
ですが現在も継承されているハンバーグに現れているように独立したことで得意の創意工夫を現せる時代だったと思います。
店のオーナーの定める材料費などの方針に従い独立する前は全ての料理が自分の自由にはなりません。HACHIのハンバーグの特徴は卵の含有量、角田昭八は独立後に得意の創意工夫で独特のふっくらふわふわ型ハンバーグを完成させました。

現役時代は、マスターとお客様からも慕われ、家族のようなお付き合いしてくださる出会いにも恵まれ今日までご縁が続いているお客様もいらっしゃいます。

引退そして「あたりまえのことをまじめにコツコツ…」

引退そして「あたりまえのことをまじめにコツコツ…」

既に現場の第一線は退きましたが、現役時代の角田昭八の料理、仕事のポリシー「あたりまえのことをまじめにコツコツ…」は今でもHACHI各店舗での受け継がれています。
角田昭八は西洋料理を日本人に合うようにアレンジ発展したニッポンの洋食を修行して来たので料理への創意工夫を怠りませんでした。
しかし、あたりまえのことをまじめにコツコツ…この精神は新しいことを考える、始める、よりもっと大切なのが日々繰り返しやる仕事こそ大事という考え方でした。
開業当初数年間はお客様が少なく、暇なランチタイムにも黙々と包丁を研ぐ姿やキッチンをピカピカにする姿がありました。
始めたことをキチンと継続していく、それがあたりまえのことをまじめにコツコツ…です。

最期のとき

最期のとき

2015年11/5(木)の夜、息を引き取りました。
昭和8年生れ82歳でした、亡くなる直前まで元気に普通の暮らしをしていましたがこの日の午後突然体調を崩し、脳出血が死因となりました。
突然の死でありましたが、生前、角田昭八は寝たきりになることや延命治療は避けたい、迷惑かけず『ピンピンころり』を願っていました。
その通りの最期であり、それも残された愛する妻への溢れる思いやりだったと思います。

臨終のときもベットの周りにはたくさんの家族、親族、従業員たちが集まり最後のときを看取りました。
葬儀にも会場はたくさんの献花で花で彩られた会場となり、お客さま、お取引先さまからたくさんのご弔問・ご焼香をいただきました。

HACHIのイメージキャラクターのあのコックさんはもちろん角田昭八がモデルです。
マスコットとしてもこれからもHACHIの各店に生き続ける昭八さんですが「あたりまえのことをまじめにコツコツ…」というポリシーが継承されて行くことが角田昭八の喜ぶこと、と葬儀のとき従業員代表が弔辞を読み上げたメッセージでした。