HACHIのこだわり
丸い食パン誕生の理由
長町駅に姉妹店をオープンする!
と決まったのは、新時代令和に元号が改まって間もない頃でした。 スタッフが集まり「お客さまの喜ぶことを考える」と会議を繰り返し、メニューを考えました。
どんなパンが喜ばれるのか?
そんな議題から生まれたアイディアが「丸い食パン」
高級食パンはブームでなく、もはや定着の感があるように、日本人の食パン好きを現しています。
「でも、なんで食バンは丸くないんだろう?」
そんな素朴な疑問は、今思えば勉強不足、パン屋さん泣かせであることを後日知ることになりました。
丸い食パン!それなら可愛い。 可愛い食パンならお土産やご褒美に買いたくなる。喜んでもらえる、そんな結論となり、新店舗限定で提供するバンは、 丸い食パンとなりました。
と決まったのは、新時代令和に元号が改まって間もない頃でした。 スタッフが集まり「お客さまの喜ぶことを考える」と会議を繰り返し、メニューを考えました。
どんなパンが喜ばれるのか?
そんな議題から生まれたアイディアが「丸い食パン」
高級食パンはブームでなく、もはや定着の感があるように、日本人の食パン好きを現しています。
「でも、なんで食バンは丸くないんだろう?」
そんな素朴な疑問は、今思えば勉強不足、パン屋さん泣かせであることを後日知ることになりました。
丸い食パン!それなら可愛い。 可愛い食パンならお土産やご褒美に買いたくなる。喜んでもらえる、そんな結論となり、新店舗限定で提供するバンは、 丸い食パンとなりました。
職人が挑戦した丸い食パン
HACHI各店舗のパンを焼いてくれているのは、若林区役所近く保春院にある「ルモンド」さん。
製パン技能士 一級を持つ
この道40年のベテラン職人、江刺俊紀さん。
調理師学校で教鞭もとり後進の育成も忙しい職人です。
写真では頑固なイメージの江刺さんですが、実はとても柔軟な開発者魂の持ち主。
そんな江刺さんも「え!丸い食パン?」
その難しさを滔々と語られました。型に入れずに均一に丸く仕上げるのは食パンの成分上難しいとのこと。しかし柔軟な開発者魂の持ち主の江刺さん。
『丸いと確かに可愛いなあ、お客さんも買いたくなるよね。じゃあやってみよう!』
製パン技能士 一級を持つ
この道40年のベテラン職人、江刺俊紀さん。
調理師学校で教鞭もとり後進の育成も忙しい職人です。
写真では頑固なイメージの江刺さんですが、実はとても柔軟な開発者魂の持ち主。
そんな江刺さんも「え!丸い食パン?」
その難しさを滔々と語られました。型に入れずに均一に丸く仕上げるのは食パンの成分上難しいとのこと。しかし柔軟な開発者魂の持ち主の江刺さん。
『丸いと確かに可愛いなあ、お客さんも買いたくなるよね。じゃあやってみよう!』
苦戦の末に・・・
試作、試作を重ねてみると確かに江刺さんの予想通リ、ー個一個のカタチは均一にはなりにくく、苦戦。
江刺さんの「食パンは贅沢品ではなく毎日食べても飽きないことが大切」という持論に基づきルモンドさんが長年使用している食パンのレシピにほんの少しの全粒粉を交えて焼き上げた丸い食パンが完成に近づきました。
しかし、この丸いというカタチはパン職人泣かせでした。
型に入れずひとつひとつ丸める作業や焼き上がりがそれぞれ微妙にカタチがちがうこと・・・
けれど、このカタチの違いもパンの個性だろう、美味しいことは間違いなく江刺さんのこだわりの通り、お家で軽くトーストすると美味しい食パンになりました。
江刺さんも『40年以上パンを焼いてきたけど食パンを丸くするなんて初めて。勉強になったよ。そして、 これならお客さんも喜んでくれるね。』
ベテランでありながら柔軟な発想で協力してくれた江刺さんのおかげでHACHI’S丸食パンが完成しました。
江刺さんの「食パンは贅沢品ではなく毎日食べても飽きないことが大切」という持論に基づきルモンドさんが長年使用している食パンのレシピにほんの少しの全粒粉を交えて焼き上げた丸い食パンが完成に近づきました。
しかし、この丸いというカタチはパン職人泣かせでした。
型に入れずひとつひとつ丸める作業や焼き上がりがそれぞれ微妙にカタチがちがうこと・・・
けれど、このカタチの違いもパンの個性だろう、美味しいことは間違いなく江刺さんのこだわりの通り、お家で軽くトーストすると美味しい食パンになりました。
江刺さんも『40年以上パンを焼いてきたけど食パンを丸くするなんて初めて。勉強になったよ。そして、 これならお客さんも喜んでくれるね。』
ベテランでありながら柔軟な発想で協力してくれた江刺さんのおかげでHACHI’S丸食パンが完成しました。
仙台最古のパン屋だから出来た丸い食パン
ルモンドさんの旅は江戸時代の安政年間。
つまり創業は170年近いという老舗です。お寺の門前での始屋さんとして始まり、江刺屋さんと名乗っていました。
大きな転機を迎えたのは太平洋戦争、そして戦後です。
仙台のパン屋さんの歴史は、市内各地の和菓子屋さんや商店が駐留米軍の求めに応じて始めたパンの製造が始まりだそうです。戦後の食糧難の中、学校給食でも必要とされたパン。
この頃のパン屋さんたちの大切な仕事でした。
ご年配の方なら記憶にある町のパン屋さん。
「ひらつか」「昭栄堂」「トラヤ」「原田屋」「フジヤ」・・・今は残念ながら廃業してしまいましたが、そうした町のパン屋さんと共に戦後復興に尽力してきたパン屋さんのひとつがルモンドさんなのです。つまり、仙台最古のパン屋さんと言えるのです。
時代の変化に対応し老舗の暖簾を守ってきた江刺さんご家族。
お客様や時代の求めに応じることができる柔軟性という財産こそ、老舗の由縁だと思いました。
HACHI’s丸食パンが誕生できたのも、江刺さんの職人としてのこだわりは勿論、柔軟な発想力のおかげだったのです。
つまり創業は170年近いという老舗です。お寺の門前での始屋さんとして始まり、江刺屋さんと名乗っていました。
大きな転機を迎えたのは太平洋戦争、そして戦後です。
仙台のパン屋さんの歴史は、市内各地の和菓子屋さんや商店が駐留米軍の求めに応じて始めたパンの製造が始まりだそうです。戦後の食糧難の中、学校給食でも必要とされたパン。
この頃のパン屋さんたちの大切な仕事でした。
ご年配の方なら記憶にある町のパン屋さん。
「ひらつか」「昭栄堂」「トラヤ」「原田屋」「フジヤ」・・・今は残念ながら廃業してしまいましたが、そうした町のパン屋さんと共に戦後復興に尽力してきたパン屋さんのひとつがルモンドさんなのです。つまり、仙台最古のパン屋さんと言えるのです。
時代の変化に対応し老舗の暖簾を守ってきた江刺さんご家族。
お客様や時代の求めに応じることができる柔軟性という財産こそ、老舗の由縁だと思いました。
HACHI’s丸食パンが誕生できたのも、江刺さんの職人としてのこだわりは勿論、柔軟な発想力のおかげだったのです。